心配、それは優しさではありません。
心配するという行為、それは、
「その人を信じていない」
という気持ちの現れです。
行動の妨げやブレーキにもなります。
心配の代名詞といえば「親」です。
親の心配を「うざい」
と思ったことはありませんか?
なぜ、そう感じたのでしょう。
「子供だと思われている」
「できないと思われている」
「自分(親)がいないとダメだと思っている」
まるで、バカにされているように
感じたからではないでしょうか。
上から目線、余計なお世話、
と言い換えることもできます。
心配から来る応援もやっかいです。
本人がやめたくても、
それができなくなるからです。
心配は「する」にしても「される」にしても
エネルギー的に良いものではありません。
自分にとっても相手にとっても無駄です。
命の危険があったり、
人様に迷惑をかける行為でなければ
「信じて見守る」だけで良いのです。
転んでも、起き上がることを信じて
走らせてあげたらいいと思います。
そうやって人は成長する生き物です。